続きの続き。

とうとう夏が終わってしまいました。この7月&8月が、たった2~3週間ほどで過ぎて去ってしまったように感じられ、また9月も同じような速さで終わりに近づいています。「ほな、ぼちぼちいこかぁ~」と思っていても、こんなに月日が猛スピードで私の前を通過して行くと、「そんなにのんきで良いのか?今のうちにするべき事があるんちゃうん?」という声と、「ええねん。今さらそんなに急いでも仕方がない。人生、あせらんと楽しくすごさな」という声が順番に繰り返し私にささやきかけてきます。う~ん。 
ところで前回の続きを。中国は広州での話し。アンナと初対面をした時の話し。...ですので、よろしく。
  私の腕の中でずっとニコニコと笑顔を見せるアンナを腕に抱いたまま、私達は宿泊先のホテルに戻って来たのですが、アンナは相変わらずニコニコするだけで、全然一言の声も出さず、泣きもせず。初めのうちは、「なんてラッキーだろう」と3人で話していたものの、時間がたつにつれ、そんなアンナに「この子、大丈夫なのだろうか」とそれぞれが不安を持つようになりました。おまけに彼女の顔、背中じゅうにはひどい出来物ができて赤くただれ、オムツかぶれもひどく、見ていて痛々しい状態。マイクとお母さんが彼女の聴覚を調べるため、ものすごい音量のラジオを彼女の耳元で鳴らしたり、手を叩いて音を立てたりしても無反応。マイクとお母さんはアンナが聾唖ではないかと心配になりだしました。その晩早速ホテルの中にあるクリニックに連れて行き、お医者様に見てもらうと、アンナは水疱瘡なので他の子供と隔離するようにと言われ、聴力の方はわからないとの診断を受けました。そこで翌日は早朝から広州児童医院という大病院で診察を受け、やはり水疱瘡と耳が難聴との診断を受けました。アンナが水疱瘡にかかっているという情報は、中国政府の養子縁組コーディネイターのエルビンさんを通し、すぐに孤児院の院長へ伝わり、彼も急遽病院に駆けつけ来る始末。というのはアンナが水疱瘡にかかっているという事は、院内感染であり、それは大問題になるというので院長の顔は真っ青になっていました。マイクとお母さんは病院の診断が信用できないということで、その後、英語が通じる病院を2件回り、最終的にはアメリカ人の医師が開業している、アメリカ領事館員やアメリカ人駐在員、その家族、中国の富裕層が利用する、会員制の病院に入会金と会費を払い診察してもらいました。その結果、アンナの出来物は疥癬で、耳の方は風邪の中耳炎。やっとマイクもお母さんも納得して、私達4人は疲労困憊、一安心のもとにホテルに戻ってくる事ができました。アメリカ人の医師が言うことには、アンナが音に対して無反応なのは、おそらく孤児院ではスピーカーから常に大きな音が流されていて、それに慣れているために大きな音にいちいち反応しなくなっているとの事。疥癬も孤児院では珍しくないとの事で、その後抗生物質と塗り薬ですぐに治りました。よかった、よかった。  ところで私達がどうして、1日に4件もの病院を必死で回り、孤児院の院長までも駆けつけてきたのかと、読んでいてちょっと不思議に思う人もいると思います。実は、アンナと対面してからの初めの一晩は仮の縁組で、24時間以内にアンナを正式に養子にするかどうかを、決定しなければいけなかったのです。私達は3年前中国側に、「健康な子供を希望」と申請していました。それは私達の年齢を考えたら、障害を持つ子供を育てられる自信がなかったのです。だからもしアンナが聾唖者だと診断された場合、私達はそれでも彼女を養子にするか、それとも彼女をあきらめてアメリカに帰るか、の選択に迫られていたのです。だからアンナが水疱瘡にかかっているかどうかは、私達にはどうでもよかった。そのことよりも、アンナの両耳が正常かどうか、それを見つけるために、短い限られた時間、必死でできるだけ多くの病院を走り回りたかったのです。でももしあの時、アンナの耳の結果が悪くても、きっと私達は養子にする方にサインをしていたと思います。なぜならば彼女と過ごした一晩で、私達はすでにアンナを心から愛していたのですから。 
こんな事も今になれば、私達にとっては貴重な良い経験をしたと思っています。これからも、神様が私達に授けてくれた大切なアンナを、どんなことがあっても守り、愛していきたいと思っています。

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